さんぽ学派

大学生のあれこれ

静かに生きることの難しさ

心静かに生きることは簡単ではない。

べつに腹をたてなくていいことで感情的になったりする。

 

ほかの人のブログを読んでいて少し攻撃的だなと思った

頭に血が昇った

でもコメント欄に著者を嘲笑うコメントが沢山書いてあり、その瞬間に

ホッとした。まさしく、社会的な制裁が加えられたと思った。

水戸黄門で黄門様が悪代官を懲らしめてスカッとする感じと同じだ。

でもそれらのコメントを見ているうちに著者がひどく可愛そうにも思えてきた

 

自分の変わりぶりにまだまだ子供なんだなとも思う。多感な時期なんだろう。

左派、右派、安倍首相擁護派、アンチ派、色んな派閥がインターネット上で争っている。

市民が政治のことを考えることは民主政治の基礎をなすことだからいいことだ。

でも、何か興奮しすぎなようにも思える。

彼らのような熱心な市民政治家達は自分とは違う意見を持つ人、そうした政治を考えない人のことをまるで国賊のような扱いをすることも多い。

確かに自分も昔そう思っていた。

自分を正当化する為に周囲の人間を見下すのは簡単だ。

僕も自分の思ったことが真理だと思うような性格だから余程そう思ったこともあるし、今もふとそう思うこともある。

だから自分と反対の意見は到底受け入れて難いし、僕と似たような感じでインターネット上で他人を叩く人の気持ちもよくわかる。

 

インターネットだと、その人の全容がわかんないから攻撃的なことも言える。

逆に面と向かって微笑んでいる初老の人に同じ事を言えと言われても無理だ。

覆面の世界は恐ろしい。

 

 

話がだいぶずれたので元に戻すと

こういった政治の内容にそこまで興奮しなくてもいいんじゃないか、もしくは、興奮しそうになったとき、自分を抑える力が必要なのでは無いだろうか。

政治のことについて考え、行動することをやめろというのではなく、感情的な行動をしたり、それを煽ったりするのをやめなければならないと思う。

でもそれは難しいのだけれどもね笑

 

でも、もう難しいこと言わず、自分の人生だけを思えば

そんな果てしのない政治や歴史のことで興奮するより

穏やかに生きた方がいい人生送れるんじゃないかと思うんだ。

これは非国民なのかな。

Ekassa caritaṃ seyyo,
Natthi bāle sahāyatā;
Eko care na ca pāpāni kayirā,
Appossukko mātaṅgaraññeva nāgo”ti.