さんぽ学派

大学生のあれこれ

就活と大学生

大学4年間のうち

3年の6月から4年の夏までの1年間を大学生は就活に当てる。

つまり4年間のうち1年を就活にあてる。また、4年生の後期はほとんど授業を取らない学生も多い。

いつから大学は人生の休憩時間となってしまったのだろうか。

また、大学において休憩時間を過ごしていない人と休憩時間として過ごした人が就活で同じレベルと評価されるのはなぜか。

 

海外の大学に来ると、日本人は勤勉、真面目というステレオタイプ的なイメージがまだあるが、内実は異なる。

多くの日本人の留学生は無断で欠席するし、課題を十分にやらない生徒もいる。

これについて驚く西洋の教師陣もいる。

逆にこちらだと中国系の学生の方がよほどしっかりと授業を受けていると思う。

確かに中国社会は道徳的に未発達な部分があるのは否めない。ただ、経済の急速な展開と共に、市民の教養の蓄積も急速に進んでいる。

僕が予感するのは、次の50年では中国人があたかも今の日本人のような評価をされるのではないかということである。

パックスジャポニカの恩恵を享受した僕ら世代はまさに年号の平成に合うような太平の世を生きた。

ただ、僕ら世代もしくはそれ以前の世代が既に日本の経済的な蓄えを切り崩してしまった可能性がある。

だから、今後50年、そうした散財したツケがまわって来るのではないかと思う。

世界の基軸がどう変わっていくか、つまり、ヘゲモニー国家を形成する国のパワーバランスがどう移りゆくかには注視しないといけないと思う。

そうした中で合理的に効果的に投資を進め、経済大国としての地位を維持しない限り、またこの国は第三世界の小国に堕落するかもしれない。

 

はたまた世界大6位の経済大国に没落したイギリスが何か日本の将来像を暗示しているかのうようでもある。

国の没落が単に精神的な意味で実生活に何も影響しないのであれば構わない。

まさに国破れて山河ありである。

だが、日本の場合はそうもいかないと思う。

それは国民生活の水準が日本の経済成長の水準に比例して向上してきたことが示している。

明治時代、先人たちはなりふり構わず日本の悪弊を捨て、経済大国を作り上げた。そうした恥を忍んで急転換をする大胆さはどこにいったのか。

だから、僕たちぬるま湯世代はそれぞれに切磋琢磨しないといけない。大学の授業をぼけぼけと受けていてはいけない。生真面目と嘲笑われようが僕たちの老後が希望に溢れるようにつねに革新していくべきだろう。