1-3公益事業の定義と特質(余談: N国について)
1公営事業の定義と範囲
公共事業とは生活に不可欠な社会的インフラのことを指し、電気、ガス、水道、交通、通信、放送などを包括的に含むもの。
そもそも自然に独占されやすい産業が公的事業になった経緯がある。
こうした供給サービスを私企業が独占することは限られた資源への重複投資(イギリスの鉄道狂時代とか?)などが行われたり、市場の失敗(経済の負の外部性)などが起きるため政府が規制する必要がある。→参入規制、料金規制
※ではGAFAはどうなのか?生活に必要なインフラであるし、競争市場が形成されているとは言えないのではあるが・・・
しかし、同時にネットワークの外部性も働くのである。独占が必ずしも悪いというわけではなく、ある程度独占される方が消費者にとって有益であることも多い。
小さなプラットフォームが多いのではなく、巨大なプラットフォームの方が参加者に利益は得られやすい。これはいわゆるネットワーク効果が発揮されていることの一例であり、独占→規制という単純な論理が現代社会に適応できるかという問いでもある。
2公益事業の特質
①自然独占と経済的規制
②ネットワーク産業
サービス財としての特徴を持つ(生産と消費が同時点で行われる。)
大規模で貯蔵できないため需要の変動への対応が困難
そもそも公共事業の需要の変動は少ないようにも思えるが・・・
水道や鉄道需要が劇的に変化するとは考えられないし・・・
③ユニバーサル・サービスの提供
どこでも、手頃な価格でサービスを提供する。
赤字補填のためのユニバーサル・サービス基金
3公益事業の規制と競争の導入
1970年代まで様々面で規制が行われていた。
①事業の廃止、縮小に関する規制、②サービスの価格と内容の維持、③他業兼業の規制
④労働争議の規制、⑤特権の行使規制(土地、道路等の公共資産の優先的使用)
現代においては・・・
民営化、規制緩和と競争の導入
背景として
世界的な技術革新と国際競争力の激化
ケインズ的な経済政策からネオリベラリズム的なハイエク流の経済政策への転換(?)
つまりは、米英を筆頭として各国での規制緩和が進んだことで国際的な競争が発生。
また、OECDやWTOによって経済や貿易の資本主義化、自由化が世界的規模で進んだ結果、当然の帰結として米英に倣った経済政策が各国で取られるようになる。
独占は行われてもそれが直接的に厚生を減少させるものではない。
独占が行われやすい産業であっても、埋没費用が小さい場合、新規参入の脅威が大きな市場であれば企業は独占的行動をとりつつも市場の潜在的競争力によって、ある程度提供する財やサービスの質を維持・向上する。(コンテスタプル・マーケット理論)
しかし、GAFAのように莫大な利潤がありながらも節税対策をしたり、高価格に据え置いたりするのは、実際に超過利潤を得ている気もするが・・・
余談
さてさて、
ここでN国について
N国については全く知らないのでその趣旨だけを意識して書こうと思う。
とりあえず、NHKを潰すことがマニュフェストのようなのでそれについて
ここまで公共事業について書いてきて、日本の公益事業の多くは国の手から離れているのが現状のよう。
従って大きな流れからしても、あまり見ない?NHKが強制的に視聴料をとるというのは国民目線からは受け入れられないような気もするが・・・
公共放送は情報の公共性の確保のために全ての世帯から料金を徴収することは理にかなっている。
また、では公共メディアがない場合、誰が世論を牽引するのだろうという疑問が湧く。
それが、GoogleかTwitterかYahoo!ニュースかLINEニュースか産経か朝日かわからないがこうした私企業が世論を操作できる立場にあるというのは、それはそれでまずい気がする。というのもこれらの巨大企業の世論操作を規制する手段が乏しいからである。
逆に、政府が情報操作をするのに反対する人も多いとは思うが、実際、政治の
大切な役割の一つはこうした支配にあると思われる・・・(政治学の人に突っ込まれそう)
ハイエク的に市場は無知な参加者が偶然出会うことで、知識が創造されるというプロセスと捉えることもできなくはないが、果たしてそうした知識形成が必ずしも多様で、より洗練されているかというとそうではないと思う。
ネットがハイエクの例として引き合いに出されることが多いとは思うが、
ネット上の知識形成がネトウヨなどの極端な理論やポピュリズムの後押しをした反例があるように、実は無知な参加者からは無知しか生まれなかったとも言える。
では、元老の話し合いでお上が全て統制してしまうのも考えものであるが、とりあえず
ある程度、お上が議論して大局的な見解のもと社会システムが支配されていないといけないと感じる。
ということで、NHKはやはり潰れない方が良いように個人的に思う。