さんぽ学派

大学生のあれこれ

生まれて死ぬ建築。

生活雑貨や建築物などはそのものに見合った寿命があり、そうした寿命をまっとうし、死んでいくべきだと思う。

ある学生が言っていた。

建築は100年残る芸術作品だと。

確かに、著名な作品はその後、様々な人の手を借り、後世に受け継がれていく。しかしその一方で一般的な住宅のように30年経てばガタがくるものも多い。

何かを保ち続けるというのは、常に破壊と創造のサイクルがある自然の流れに逆らっていると思う。

自然の中では生まれたものが死に、そしてそこからまた何かの命に繋がるという循環があり、エコシステムと言われる。

その一方で近代の建築の命は直線的である。

というのもひょっこりとその時代の意匠の残滓に生じ、市場経済の中で合理的でないとすぐにその命を奪われる。

かたや、本来はそろそろ朽ちて土に戻らなければならぬはずの建築が生命維持装置をつけられたかのように這いつくばりながら生きている。

あらゆるものは死があってこそ存在に価値が生じる。

誕生したと同時に終わりを明確に意識させられているからこそ、人々はそれらのものと過ごす時間を大切にし、またそのもの自体を愛するようになる。

逆説的だが、建築もそうした不可逆的な要素を設計当初から組み込んでみるのはどうだろうか。

時とともにどう美しく劣化(エイジング)して最後は自然に戻ってゆくかを設計当時から計画するのである。

持ち主が生まれてから死ぬまでに寄り添うように、きちんと歳をとる建物を作れはしないものだろうか。

少し夢物語だろうか。