さんぽ学派

大学生のあれこれ

モジュール化する私たち

LINEのタイムラインに

「いつの間にか自分がモジュールの中で生きていることに気づく」

って一言をあげたら意外と反応があったのでここにも載せてみる。

 

モジュール化とは規格が統一化された製品のこと

 

上で書いたタイムラインには以下のような意味が込められている。

 

いつの間にか人生設計も決められた部品を組み合わせたものになってしまい、独自性が失われつつある。

私は決まった路線(誰にでも合う)をただ走っているだけで、そこに個性なり自分独自のものはなくなりつつある。

 

普段の生活でも私たちはモジュールという規格、統一された社会の中で生きている。

感覚的には決められた箱の中でハチの巣のように整頓された空間で生きているような感じだ。

こうした生活に私は違和感を覚える。

私がド田舎出身というのも余計にそうさせているのかもしれない。

ド田舎にいたときは今よりもモジュール化された物が少なかった。

手作りの製品にしろと、天候や空気、水、雰囲気、見える風景。これらの多くは、人工物ではなかったし、幾何学上から派生するものではなく、より複雑なあいまいさとズレを持っていた。

その一方でこの都会に住んでいるとその逆である。

モジュール化された部屋、幾何学的な建物。

塩素臭く人工物である水、乾ききった空気、どこか張り詰めた雰囲気。

かなり主観的な見方であるが私はそう感じている。

たぶん、都会で生まれ、育った人には

なんだこいつ頭でもくるっているのかと思うかもしれない。

 

また、普段の生活では大量生産された同じものをみんなが使っている。

さらに、流行だとか政策だとかで、しゃべり方、服装、髪型といったものまで皆、模倣する。

そうやって考えると、いつの間にか現代人は自らの独自性をかなり失った(画一化された)存在になりつつあるのではないか。

あなたがあなたであるための固有の要素は極めて少ない。

また、だからこそ、今度は人までもがモジュール化の対象となってきている。

これは労働市場において使い捨て的な扱いが行われるという問題を指していっているだけではない。

むしろ、本質的なこととしては、総体としてのヒトの登場である。

人間は歴史上、個を分化させ、種としての総体という根源的な思想から遠ざかってきた。

しかし、各個人の思想がある程度、モジュール化され、地球全体においてもグローバル化といった全球的なモジュール化の影響を受けて人間は一つの種として総体としての思想に戻りつつある。

今まではそうした種の間で共有される無意識下の思想が遺伝によって伝播するものだとも考えられていた。

だが、現在はインターネットという全球的な伝達装置や生活のモジュール化によって思想は統一されつつある。

これはナショナリズムとか宗教とかそういった具体的に文字に表されるような表面上のことではない。

快や不快といった初歩的、根源的な部位までもが統一されてきている。