さんぽ学派

大学生のあれこれ

伝統を売り込むことの危険性

日本の伝統産業がその需要の低下によって危機を迎える中で

伝統産業の市場を海外へ求め、低下した需要を呼び戻す必要がある。

しかし、伝統産品の輸出となると単に商品の輸出とは違う問題がつきまとう。

それは海外で評価されることが日本人の自分たちの技術に対する過剰な自信と

それによる排他的な思想が生まれかねないからである。

この考えの背景には日本人のアイデンティティの構造にある。

日本は戦後、帝国や天皇に依拠するアイデンティティの構造を破壊され、自らのアイデンティティにどこに置こうかさまよった。

つまり、今までは愛国しておけば、自らの同一性は保たれたものの、戦後、日本が敗戦国となったためにもはや愛国などできない。

しかし、自らの存在を支えるために必要な何らかの選民思想や、バックグランドとなる矜持のようなものが私たち人間にとってはどうしても必要なのである。なぜなら、そうすることで自分を守り、社会における自己を保つことができるからである。

 

したがって、戦後、日本人のアイデンティティはどこにその重きを置くかさまよい、結局行き着いたのが、経済大国と、技術大国である。

この技術大国というのは日本人のアイデンティティをよく支えている。

特に手先が他の外国人と比べて器用だという認識は民族的に他の外国人より優れているといういわば、選民思想の意味合いを含んでおり口当たりのよい考えだ。

近年、経済大国としての地位が揺らぐ中、日本人は最後の砦としてこの技術大国という所に自分のアイデンティティを置こうとしているように思える。

伝統技術をやたらともてはやす番組が流行し、さらにそうした番組の中で外国人が登場し、日本の産品を絶賛するという脚色がしてある。

こうした番組や情報によって日本人は自らの価値を過剰に認識し、自己陶酔に陥り、改善を怠り、またさらにそうしたナルシシズムから外国人に対する優越感をますのである。つまり、ナショナリズムを強化するのである。

近頃、国を開くべき時節にありながら、むしろ、国民の目線は国内に向いているように思える。しかも、そうした目線は他の東アジア地域を蔑視することで成り立つか、もしくは憧れの西洋文明からの評価で成り立っているように思える。

そのような時代の中で、やたらと海外へ日本の伝統産品を売り込むことは、暗に日本人のナショナルな部分を強化する可能性があるだ。

だから、「伝統を海外に売り込む=海外の価値観の中で評価を得る」という構図は危険性を孕んでいる。